■ 香港経由、旅たびアジア

香港生活編タイトル

< 香港の永遠のヒーロー降臨 >

香港の夜景

香港の永遠のヒーロー、ブルース・リー。
香港に住んでいる以上、ブルース・リーは避けて通れない。

毎年ブルース・リーの誕生日と命日には、ブルース・リー・クラブ(李小龍会)によるイベントがあり、生誕65周年の誕生日には尖沙咀のプロムナードに建てられたブルース・リーの銅像の除幕式が行われた。

この銅像は、ブルース・リー・クラブのイベントで、先だって会員のみんなの投票で選んだもの。(その頃、会員である私は のほほんとアジアの旅に出ていて投票できなかった。悔しい)

序幕式には、ブルースの姉のフィービーと弟のロバート、旧友のベティさんも海外から駆けつけ、イギリスの詠春拳(*)道場から師範が来てビシバシとデモを披露し、日本・アメリカ・ドイツ・シンガポール・韓国等、世界中からもファンが参加。それ以外に、通りすがりの余計な野次馬どもも、どさくさにまぎれて多数参加。

…という素晴らしい盛り上がりを見せた。

除幕式の次の日には、姉のフィービー参加で海外からの観光客向けにバスが出て、特別にゆかりの地巡りの旅、という素敵なイベントもあった。 フィービー参加ということは、生のブルースリー側近(?)の口から 生きたエピソードが聞けるということだ。素晴らしい!

しかし、エピソードといえば、ほのぼのしたものは無く、ただひたすら、如何にブルースが幼少の頃やんちゃで どうしようもない悪戯坊主だったか、という話に終始していた。

特に、日本からのファンは気合が入りまくりの、 とっても バカな 楽しい人が満載で、「死亡遊戯」 のトラックスーツを着て参加する輩も! 頼まれてもいないのにヌンチャクを振り回し、怪鳥音がプロムナードに こだました。

うおぉ~、恥ずかしいぞぉ~、もう私達、30代のいい大人だぞ~っ(´∀`;)

なんて思う奴はブルース・リー・ファンにはいないのだ。彼はヤンヤの喝采を受け、香港・韓国のTV番組・新聞社に取材されていた。

ブルース・リーのファン  ← 日本から来たボンクラにブルース・リーの霊が乗り移った瞬間

また、カンフー着を着て参加する輩(女性だ!)も居る始末…。彼女はわざわざこの日のために中華系百貨を何軒も巡ってカンフー・シューズまで買っていた。

そして私も思いっきりなブルース・リーのTシャツを着ていたので、韓国のTVに取材された。

香港在住日本人の私達は、日本からのファンのアテンドで、「燃えよドラゴン」 の助監督と飲茶や、ロケ地巡り等、連日 寝不足 楽しいひとときを過ごした。

燃えよドラゴンの助監督  ← 自作のTシャツを着た日本から来たファンと「燃えよドラゴン」の助監督

ブルース・リー・クラブは、次のイベントとして香港にブルース・リー記念館を作る予定らしい。もっと早く、そうするべきだったんじゃないか、ブルース・リー・クラブ。遅いぞ。

もっと言えば、今から新たに記念館を作るよりも、生前の家をまるまる買い取ってそのままの形で記念館にしてほしかった。 リーが生前、家族と犬と住んでいた家は今、個人が買い取ってラブホテルになっている。

無残にも思いっきり改装されて、各部屋は細切れな部屋に分断…(T-T)

そして悔しいことに、ブルース・リーのファンが訪れると、入り口に張っているインド人の門番に 「ブルース・リー・ファンは帰れ、シッシッ!」 と追い返されてしまうのだ。

なんでだ、インド人!?

本来の 「正しい目的」 以外の入場は固くお断り、になっているのだ。 もちろん私は、日本から来たファン達と組んで、ブルース・リーのTシャツなどは着ずに普通のカップルを装い、本来の 「正しい目的」 で訪れたフリをして入場したことがあるぞ。ざまーみろ、インド人。

※断じて、「正しい目的」 としては利用していませんよ (きっぱり)

亡くなって30年以上も経つのに、こんなに沢山の人々が今も彼を愛し、彼から勇気をもらっているのかと思うと、感動の涙を禁じえない私であった…。

今回のイベントで日本から来られなかったボンクラの方々、 次回のイベントにはぜひ参加して頂きたい。アテンドしますぜ。

そして、尖沙咀のプロムナードに銅像ができたからには、山の上(*)に上らなくても、 いつでもブルース・リーに会えますよ(^-^)


※詠春拳…ブルース・リーがアメリカに渡る前、佐敦に住んでいた頃に習っていた流派
※山の上…香港島のビクトリアピークのマダムタッソー蝋人形館にブルース・リーの蝋人形もいる

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